緑の楽園 20話
2020.04.29 11:06|ファンタジー小説<緑の楽園>1話~|
緑の楽園 20話
それからしばらくは何事もなく十日が過ぎた。その後、魔族の姿を見た者がいないことから、城内のみになっていた研修も城外のものが再開された。
月が変われば近衛当番が変わる。城の近衛当番が風の近衛隊から火の近衛隊に替わり、トルナードは領地に戻った。
「……何か仕掛けるなら当番月だと思ったが」
風の近衛隊を引き連れ緑の城を後にするトルナードを見送った緑の方は難しい顔で呟く。
次にトルナードが当番を迎えるのは二ヶ月後だ。ランディエールと違い城に常駐していないトルナードだ。当番月なら緑の城内から混乱を起こせたが、それ以外では難しい。
「それに、ルリジオンにもその後接触していないというのも不可解だ」
もしトルナードが婀娜花を解放させようとしたら結界が反応した筈だが、それがない。
「何を考えているのか」
推測した目的がそもそも違っていたのか?
「とにかく、今のうちに空気結界を強固なものにせねば」
あれからすぐに会議にかけたが、やはり強固な反対があり簡単に裁決が出ない。だが、早急に万が一に備える必要がある為、緑の方は無断でことを進めることを考えていた。
トルナードを見送っていた緑の方は、執務室の扉がノックされる音で振り返ると少し表情を柔らかくし声をかける。
「入って」
許可をもらい扉を開いて入ってきたのはルリジオンだった。
緑の方預かりとなったルリジオンは近衛兵の研修にはまだ戻れていなかった。
魔族が出現していない為、ランディエールの指導の元ならば研修に戻してもいいのではという意見もあったが、頭の硬い人間はなかなか首を縦に振らない。その為、ルリジオンの研修は文官のまま継続していた。
本来、研修生が緑の方の執務室に入れることなどあり得ないが、ルリジオンに何かがあった時、対応出来るのは緑の方のみだ。危険分子ではあるが、ルリジオンの力は魔族に対抗出来る数少ない強さだ。結局、保身を考えた大臣達は緑の方にルリジオンに対しての責任を全て押し付けることにしたのだ。だが、それは緑の方にしてみれば好都合だった。常に誰よりも大切なルリジオンを側に置いておけるのだから。
「おはようございます。本日の書類です」
両手で持った箱を執務机の横の書類置きに乗せると蓋を開く。緑の方の仕事は結界を張ること以外は、四つの領土の自然に対しての報告に対応することが主だ。災害などで被害があれば自ら赴き、四大元素で修復する。特に魔界との境界線に近い土地の報告には慎重に目を通していた。些細な変化でも結界の綻びに繋がらぬよう常に気にかけているのだ。
政治的な仕事は大臣達が行い、緑の方が最終決定を下す。
午前中は書類を確認することで終わった。昼食は執務室で摂ることが多い為、ルリジオンが「食事をお持ちします」と出て行こうとした。しかし、緑の方は立ち上がると待ったをかける。
「今日こそ食堂で摂ろう」
「え?」
突然の言葉に文官の態度を忘れ声を上げて振り返ったルリジオンに緑の方が微笑みかける。
「研修生と直接話すことも大切だろう」
「ぇ、あ……」
「許可は私が。ルリジオンお供を」
振り向けば緑の方付文官のメラサルが目で頷いていた。実は先日、緑の方が食堂に行きたがったのだが、さすがに何の対応もしていない食堂に連れていくわけにはいかず却下になったのだ。だが緑の方の胸中を察してくれたメラサルが城内警備隊長に取り成してくれたのだ。
警備に不安はなくなったが、ルリジオンには他に大きな不安があり躊躇する。それは、緑の方に話かけられた生徒達がどうなるのか心配が大きいからだ。
「やっぱり止めた方がいいんじゃないですか?」
ルリジオンは眉を下げるが、メラサルの反応から大丈夫だと判断してしまった緑の方はさっさと先に歩き出す。
「近辺警護は任せたぞ」
メラサルはルリジオンに軽く手を振ると二人を見送った。
「リュミ様」
慌てて後を追ったルリジオンを振り返った緑の方は楽しそうな様子だ。
「ルリジオンのもう一人の友人を紹介しておくれ」
定期的に学園の報告をしていたルリジオンは、緑の方がギャドーを覚えていてくれたことに嬉しくなる。だが、やはり食堂の騒ぎを想像すると眉が下がるのだった。
「リュミ様、耳を塞いでください」
食堂に入る扉に手をかけたルリジオンが一度足を止めて忠告をする。緑の方は不思議な顔をするが、ルリジオンが両手を持ち耳に当ててくれた為、大人しく従う。緑の方が耳を塞いだことを確認したルリジオンは一度深呼吸をし、決意を固めると扉を開いた。
中は昼食を摂る生徒達で溢れており、席すら空いていない状態だった。入り口など気に止めない食べ盛りの生徒達。しかし、ふと入り口を見た生徒が固まり、次の瞬間声を上げた。
「み、緑の方!?」
その声を聞いた周りの生徒の視線が入り口に向く。ざわめきが広がるのは一瞬だった。
「え? ……わー!本物の緑の方だ!」
「な、なんでこんなところに!?」
あちらこちらで驚きや歓喜の声が上がる。
緑の方はこの国では神にも等しい存在な上、見た目の美しさに心酔している者が多い。公の場ではわきまえている生徒達だが、突発的な出来事に平常心を忘れてしまったのだ。
こうなることが予想出来ていたルリジオンは苦笑する。
「……ルリジオン…私が来てはまずかったのか?」
民の前に出れば歓声を浴びるが、それとは違う騒動に緑の方は戸惑いルリジオンに問いかける。
「いえ、不味くはないんですが……えーと、まぁ、せっかく来たんで食事をしましょう」
緑の方の、たまに世間知らずになるところが好きなルリジオンは苦笑を笑顔に変えると中に促す。食堂の中に緑の方が足を踏み入れると騒動が収まる。それは、平常心を思い出したのではなく食い入るように緑の方の姿を追っているからだ。そんな生徒達の視線に、ようやく騒動の理由を察した緑の方は公の場での微笑みを浮かべた。
余所行きになってしまった緑の方に寂しくなりながらも空席を探していたルリジオンに声がかかる。
「ルリジオン」
視線を向ければ学園で同じクラスの生徒が手を振っていた。研修での組分けが違ってしまった為、顔を合わせることが久しぶりだが、わりと話す生徒だった。
「久しぶり。そっちは今何の研修してるんだ?」
「今日は弓矢隊の研修だった」
「あ、じゃあ城壁にいたのお前達か」
「そうそう。…っと……えっと、席探してるんならと思って」
ルリジオンの後ろで微笑みが柔らかくなっていた緑の方に視線を流しながら、緊張した様子の生徒にルリジオンが後ろを向く。
「リュミ様、こいつは学園で同じクラスのテリアです」
「テ、テリア・ザトワです!」
紹介された生徒は背筋を伸ばして頭を下げる。すぐに頭を上げるよう肩を触った緑の方にそろそろ頭を上げたテリアは、間近で見た緑の方の不思議な光の瞳に息を止める。
「ルリジオンと親しくしてくれていて有り難う」
「は、はい!」
声が裏返ったテリアに小さく笑った緑の方はルリジオンを見る。
「彼らと同席させてもらおうか」
「へ、いや、俺たちは退きますから!」
緑の方の言葉に答えたのはルリジオンではなく、テリアの後ろで固まっていた二人の生徒だった。確かに席が空いているが、同席しようなどとはとんでもない! 自分達が退いた後の広々としたテーブルで食事をしてもらおうと思っていたのだ。
「でもお前達、まだ途中だよな。そこ、相席させてもらえればいいから」
ルリジオンも緑の方の言葉に頷くと、横並びで空いていた二つの席にさっさと座ってしまった。
「リュミ様、何食べますか?」
「ルリジオンと同じでいいよ」
普段、メニューを見て選ぶことがない緑の方はルリジオンに任せる。ルリジオンは「じゃあ、魚料理にします」とカウンターまで注文しに行った。ルリジオンの背中を見送った緑の方は、逆隣で緊張しながら食事を再開したテリアに話しかけた。
「ルリジオンは学園ではどんな生徒なんだい?」
「え……と、とても優秀です」
ルリジオンは学年首席を常にミラリヤールと争っており、成績の報告は当然緑の方にもされている。緑の方が知りたいのはルリジオンの友好関係だった。
「ミラリヤールと仲が良いと聞いたが、他にも仲が良い生徒はいるのかい?」
ルリジオンの魔族付という渾名からもっと敬遠されていると思っていたが、意外にも気さくに話しかけられる光景に安堵した。だが、緑の方の質問の意図を察したテリアは他のクラスの負の視線がルリジオンに向かうのを忌々しく思いながら答える。
「うちのクラスの人間とは仲良いですよ。ルリジオンの性格を知れば、あんな渾名なんかで色眼鏡で見ることが馬鹿馬鹿しくなりますから」
テリアの口調からやはり辛く当たる生徒もいるのだと知り緑の方は表情を曇らせた。緑の城に置いたままだったら味あわなくてよかった辛さだ。しかも、ルリジオンを守る為に城から出したというのに婀娜花を仕込ませるようなことになってしまった。
緑の方の表情が陰ったことに気づいたテリアは慎重に続ける。
「確かに学園で浮いた存在ですけど、でも反面優秀さとかあの外見とか、内心かなり憧れている人間も多いですよ」
学園では飄々として大人びて見えるルリジオンは、下級生中心に人気がある。そして、同学年にも隠れた人気があるのだ、と説明していたテリアだったが、両手に料理を持って戻るルリジオンに気づくと小さく笑う。
「でも、ルリジオンって大人びてるって思ってたんですけど、緑の方の前では子供っぽいっていうか、柔らかい顔を見せるんですね」
戻るルリジオンは、確かに普段緑の方が見る顔とは違い表情がない。表情が乗らない美しい顔立ちは、確かに大人びており近寄りがたく感じる。その無表情が緑の方の姿を視界に入れると柔らかく綻ぶ。その瞬間を見てしまった生徒達は動かしていた手を止め固まる。
「……うわ、破壊力ありますね」
テリアも手を止め呟く。大人びたルリジオンが新鮮だった緑の方は見れて嬉しかったが、表情の変化を見た生徒達の反応に神経を向ける。ルリジオンを見る瞳が嫌悪したものから、欲を感じさせるものへ変化する。婀娜花を仕込まれ、ルリジオンの身に起こったことはトルナードが箝口令を敷いた為、緑の方に報告されていない。しかし、生徒達の視線から察してしまった。ルリジオンが何人もの男に抱かれたことを生徒達は知っているのだと。当然、それが婀娜花のせいとは知らないだろうが。
邪な視線がルリジオンに集まる気配に緑の方の眼差しが険しくなる。緑の方の気配が冷たくなった為か、食堂の空気が変わったことを生徒達が感じる。そんな中、新たな生徒の一団が食堂に入ってきた。
「ん? なんかあったのか?」
食堂を見回し声を上げた人物に気づいたルリジオンがそちらを向くのを見て緑の方の視線も動く。そこには水の一族に多い銀髪の生徒が居た。
「あ、ルリジオン。久しぶりだな」
食堂を見回していた生徒は立ち止まり視線を向けてきているルリジオンに手を上げると近寄る。一緒に来ていた生徒は腹がすいている為、さっさと注文をしに行った。
「久しぶり。ギャドー達はなんの研修だったんだ?」
興味ありげにルリジオンが問いかけた生徒はギャドーだった。ルリジオンとはミラリヤール以外で一番親しいと周囲は認識している。
二人が話す光景に険しい眼差しが柔らかくなる緑の方にテリアは説明する。
「あいつはギャドーといって、水の一族の者ですが、ルリジオンやミラリヤールと仲が良いんです」
「そう」
確かにルリジオンの表情は、先ほどよりもかなり柔らかい。それはミラリヤールに向けた優しく柔らかい表情ともまた違い、気さくに話す横顔はまさに友人と話すものだった。
「今日は外壁研修でさ、日陰もないからかなり辛かった」
かなり日焼けしたことが分かるギャドーは「お疲れ」と声をかけたルリジオンが盆を二つ持っていることに気づくと勢いよく周囲を見回す。
「ミラリヤール、歩けるようになったのか!?」
ルリジオンが共に食事を摂る者などミラリヤールくらいだと知るギャドーは、心配していたミラリヤールの姿を探す。だが、すぐにルリジオンは否定した。
「いや、まだミラリヤールは安静中。でも、かなり良くなってたから心配はしなくて大丈夫だ。ただ、面会は水の近衛隊長様の許可が必要だけどな」
疎遠になっていた幼馴染みとの状況を聞き、かなり興味を引く。だがギャドーは、まずは目の前の興味を解決する。
「じゃあ、誰と来たんだ?」
問いにルリジオンが視線を流した先を見たギャドーがある一点を見て固まる。
「……え?」
自分が見た人物がここにいることが信じられず、一度視線を外し周囲を見回す。すると食堂全体が浮き足立っていることに気づく。
「お前……」
ギャドーはルリジオンに向かってなんとも言えない声を向ける。
「仕方ないだろ、リュミ様がここで食べたいって言うんだから」
ギャドーが何を言いたいのか察したルリジオンは先に言い訳をする。国の最重要人物を一般人の中に連れて来ることが、それがいくら城内とはいえ、まずいことは理解している。だが、ルリジオンや執務室勤務の文官が緑の方に人との触れ合いをさせたい思いを城内警備の人間が汲んでの今回の行動だ。
それをここで話すことは出来ないが、緑の方に少しでも普通の生活を味わってほしいルリジオンの苦笑の中には柔らかさが含まれている。その表情に何も言えず緑の方に視線を向けたギャドーは一気に硬直する。
「どうした?」
いきなりぎこちない動きになったギャドーに不思議そうな眼差しを向けたルリジオンを見ながら呟く。
「……ランディエール様だけじゃないってことか」
小さな呟きはルリジオンには聞こえない。しかし、級友二人が送っていた日々には理由がありそうだ、とギャドーは察した。
自分が詮索する立場でもなければ、知ったからといってなにか出来る程の力がないことを自覚しているギャドーは、ただ心配していた友人二人とも良い状態にあるらしいと知り満足すると、視線の圧力を横顔に感じながらルリジオンを促す。
「それ、冷める前に持っていけよ」
「あ、そうだった」
両手に持ったお盆の料理を見て慌てたルリジオンだったが、ふと思い出しギャドーを誘う。
「あのさ、緑の方が……普段俺と親しい人間に会いたいって言ってくれてるんだけどさ…」
同席してほしいのだが、あの席で食事をして午後の研修に支障が出ないか心配で躊躇う。返事に困ったギャドーの横顔には緑の方からの強い視線が突き刺さっている。
「……緊張するが、見たいしな。――俺がご一緒していいなら」
前半の小さな呟きはルリジオンには聞こえない。だが、頷いたギャドーに柔らかく微笑んだルリジオンに再び食堂がざわめく。その気配に緑の方の視線が剣呑なものになったことを感じたギャドーも辺りを鋭い視線で見る。するとルリジオンを見ていた邪な視線が散る。
ルリジオンは気づいていないが、ギャドーや同じクラスの者は出来る範囲でルリジオンを保護していたのだ。ギャドーの様子にそれを感じたのか緑の方の視線が和らぐ。少し威圧が弱まったギャドーは「料理貰ったら向かう」と言いカウンターに向かった。
それからしばらくは何事もなく十日が過ぎた。その後、魔族の姿を見た者がいないことから、城内のみになっていた研修も城外のものが再開された。
月が変われば近衛当番が変わる。城の近衛当番が風の近衛隊から火の近衛隊に替わり、トルナードは領地に戻った。
「……何か仕掛けるなら当番月だと思ったが」
風の近衛隊を引き連れ緑の城を後にするトルナードを見送った緑の方は難しい顔で呟く。
次にトルナードが当番を迎えるのは二ヶ月後だ。ランディエールと違い城に常駐していないトルナードだ。当番月なら緑の城内から混乱を起こせたが、それ以外では難しい。
「それに、ルリジオンにもその後接触していないというのも不可解だ」
もしトルナードが婀娜花を解放させようとしたら結界が反応した筈だが、それがない。
「何を考えているのか」
推測した目的がそもそも違っていたのか?
「とにかく、今のうちに空気結界を強固なものにせねば」
あれからすぐに会議にかけたが、やはり強固な反対があり簡単に裁決が出ない。だが、早急に万が一に備える必要がある為、緑の方は無断でことを進めることを考えていた。
トルナードを見送っていた緑の方は、執務室の扉がノックされる音で振り返ると少し表情を柔らかくし声をかける。
「入って」
許可をもらい扉を開いて入ってきたのはルリジオンだった。
緑の方預かりとなったルリジオンは近衛兵の研修にはまだ戻れていなかった。
魔族が出現していない為、ランディエールの指導の元ならば研修に戻してもいいのではという意見もあったが、頭の硬い人間はなかなか首を縦に振らない。その為、ルリジオンの研修は文官のまま継続していた。
本来、研修生が緑の方の執務室に入れることなどあり得ないが、ルリジオンに何かがあった時、対応出来るのは緑の方のみだ。危険分子ではあるが、ルリジオンの力は魔族に対抗出来る数少ない強さだ。結局、保身を考えた大臣達は緑の方にルリジオンに対しての責任を全て押し付けることにしたのだ。だが、それは緑の方にしてみれば好都合だった。常に誰よりも大切なルリジオンを側に置いておけるのだから。
「おはようございます。本日の書類です」
両手で持った箱を執務机の横の書類置きに乗せると蓋を開く。緑の方の仕事は結界を張ること以外は、四つの領土の自然に対しての報告に対応することが主だ。災害などで被害があれば自ら赴き、四大元素で修復する。特に魔界との境界線に近い土地の報告には慎重に目を通していた。些細な変化でも結界の綻びに繋がらぬよう常に気にかけているのだ。
政治的な仕事は大臣達が行い、緑の方が最終決定を下す。
午前中は書類を確認することで終わった。昼食は執務室で摂ることが多い為、ルリジオンが「食事をお持ちします」と出て行こうとした。しかし、緑の方は立ち上がると待ったをかける。
「今日こそ食堂で摂ろう」
「え?」
突然の言葉に文官の態度を忘れ声を上げて振り返ったルリジオンに緑の方が微笑みかける。
「研修生と直接話すことも大切だろう」
「ぇ、あ……」
「許可は私が。ルリジオンお供を」
振り向けば緑の方付文官のメラサルが目で頷いていた。実は先日、緑の方が食堂に行きたがったのだが、さすがに何の対応もしていない食堂に連れていくわけにはいかず却下になったのだ。だが緑の方の胸中を察してくれたメラサルが城内警備隊長に取り成してくれたのだ。
警備に不安はなくなったが、ルリジオンには他に大きな不安があり躊躇する。それは、緑の方に話かけられた生徒達がどうなるのか心配が大きいからだ。
「やっぱり止めた方がいいんじゃないですか?」
ルリジオンは眉を下げるが、メラサルの反応から大丈夫だと判断してしまった緑の方はさっさと先に歩き出す。
「近辺警護は任せたぞ」
メラサルはルリジオンに軽く手を振ると二人を見送った。
「リュミ様」
慌てて後を追ったルリジオンを振り返った緑の方は楽しそうな様子だ。
「ルリジオンのもう一人の友人を紹介しておくれ」
定期的に学園の報告をしていたルリジオンは、緑の方がギャドーを覚えていてくれたことに嬉しくなる。だが、やはり食堂の騒ぎを想像すると眉が下がるのだった。
「リュミ様、耳を塞いでください」
食堂に入る扉に手をかけたルリジオンが一度足を止めて忠告をする。緑の方は不思議な顔をするが、ルリジオンが両手を持ち耳に当ててくれた為、大人しく従う。緑の方が耳を塞いだことを確認したルリジオンは一度深呼吸をし、決意を固めると扉を開いた。
中は昼食を摂る生徒達で溢れており、席すら空いていない状態だった。入り口など気に止めない食べ盛りの生徒達。しかし、ふと入り口を見た生徒が固まり、次の瞬間声を上げた。
「み、緑の方!?」
その声を聞いた周りの生徒の視線が入り口に向く。ざわめきが広がるのは一瞬だった。
「え? ……わー!本物の緑の方だ!」
「な、なんでこんなところに!?」
あちらこちらで驚きや歓喜の声が上がる。
緑の方はこの国では神にも等しい存在な上、見た目の美しさに心酔している者が多い。公の場ではわきまえている生徒達だが、突発的な出来事に平常心を忘れてしまったのだ。
こうなることが予想出来ていたルリジオンは苦笑する。
「……ルリジオン…私が来てはまずかったのか?」
民の前に出れば歓声を浴びるが、それとは違う騒動に緑の方は戸惑いルリジオンに問いかける。
「いえ、不味くはないんですが……えーと、まぁ、せっかく来たんで食事をしましょう」
緑の方の、たまに世間知らずになるところが好きなルリジオンは苦笑を笑顔に変えると中に促す。食堂の中に緑の方が足を踏み入れると騒動が収まる。それは、平常心を思い出したのではなく食い入るように緑の方の姿を追っているからだ。そんな生徒達の視線に、ようやく騒動の理由を察した緑の方は公の場での微笑みを浮かべた。
余所行きになってしまった緑の方に寂しくなりながらも空席を探していたルリジオンに声がかかる。
「ルリジオン」
視線を向ければ学園で同じクラスの生徒が手を振っていた。研修での組分けが違ってしまった為、顔を合わせることが久しぶりだが、わりと話す生徒だった。
「久しぶり。そっちは今何の研修してるんだ?」
「今日は弓矢隊の研修だった」
「あ、じゃあ城壁にいたのお前達か」
「そうそう。…っと……えっと、席探してるんならと思って」
ルリジオンの後ろで微笑みが柔らかくなっていた緑の方に視線を流しながら、緊張した様子の生徒にルリジオンが後ろを向く。
「リュミ様、こいつは学園で同じクラスのテリアです」
「テ、テリア・ザトワです!」
紹介された生徒は背筋を伸ばして頭を下げる。すぐに頭を上げるよう肩を触った緑の方にそろそろ頭を上げたテリアは、間近で見た緑の方の不思議な光の瞳に息を止める。
「ルリジオンと親しくしてくれていて有り難う」
「は、はい!」
声が裏返ったテリアに小さく笑った緑の方はルリジオンを見る。
「彼らと同席させてもらおうか」
「へ、いや、俺たちは退きますから!」
緑の方の言葉に答えたのはルリジオンではなく、テリアの後ろで固まっていた二人の生徒だった。確かに席が空いているが、同席しようなどとはとんでもない! 自分達が退いた後の広々としたテーブルで食事をしてもらおうと思っていたのだ。
「でもお前達、まだ途中だよな。そこ、相席させてもらえればいいから」
ルリジオンも緑の方の言葉に頷くと、横並びで空いていた二つの席にさっさと座ってしまった。
「リュミ様、何食べますか?」
「ルリジオンと同じでいいよ」
普段、メニューを見て選ぶことがない緑の方はルリジオンに任せる。ルリジオンは「じゃあ、魚料理にします」とカウンターまで注文しに行った。ルリジオンの背中を見送った緑の方は、逆隣で緊張しながら食事を再開したテリアに話しかけた。
「ルリジオンは学園ではどんな生徒なんだい?」
「え……と、とても優秀です」
ルリジオンは学年首席を常にミラリヤールと争っており、成績の報告は当然緑の方にもされている。緑の方が知りたいのはルリジオンの友好関係だった。
「ミラリヤールと仲が良いと聞いたが、他にも仲が良い生徒はいるのかい?」
ルリジオンの魔族付という渾名からもっと敬遠されていると思っていたが、意外にも気さくに話しかけられる光景に安堵した。だが、緑の方の質問の意図を察したテリアは他のクラスの負の視線がルリジオンに向かうのを忌々しく思いながら答える。
「うちのクラスの人間とは仲良いですよ。ルリジオンの性格を知れば、あんな渾名なんかで色眼鏡で見ることが馬鹿馬鹿しくなりますから」
テリアの口調からやはり辛く当たる生徒もいるのだと知り緑の方は表情を曇らせた。緑の城に置いたままだったら味あわなくてよかった辛さだ。しかも、ルリジオンを守る為に城から出したというのに婀娜花を仕込ませるようなことになってしまった。
緑の方の表情が陰ったことに気づいたテリアは慎重に続ける。
「確かに学園で浮いた存在ですけど、でも反面優秀さとかあの外見とか、内心かなり憧れている人間も多いですよ」
学園では飄々として大人びて見えるルリジオンは、下級生中心に人気がある。そして、同学年にも隠れた人気があるのだ、と説明していたテリアだったが、両手に料理を持って戻るルリジオンに気づくと小さく笑う。
「でも、ルリジオンって大人びてるって思ってたんですけど、緑の方の前では子供っぽいっていうか、柔らかい顔を見せるんですね」
戻るルリジオンは、確かに普段緑の方が見る顔とは違い表情がない。表情が乗らない美しい顔立ちは、確かに大人びており近寄りがたく感じる。その無表情が緑の方の姿を視界に入れると柔らかく綻ぶ。その瞬間を見てしまった生徒達は動かしていた手を止め固まる。
「……うわ、破壊力ありますね」
テリアも手を止め呟く。大人びたルリジオンが新鮮だった緑の方は見れて嬉しかったが、表情の変化を見た生徒達の反応に神経を向ける。ルリジオンを見る瞳が嫌悪したものから、欲を感じさせるものへ変化する。婀娜花を仕込まれ、ルリジオンの身に起こったことはトルナードが箝口令を敷いた為、緑の方に報告されていない。しかし、生徒達の視線から察してしまった。ルリジオンが何人もの男に抱かれたことを生徒達は知っているのだと。当然、それが婀娜花のせいとは知らないだろうが。
邪な視線がルリジオンに集まる気配に緑の方の眼差しが険しくなる。緑の方の気配が冷たくなった為か、食堂の空気が変わったことを生徒達が感じる。そんな中、新たな生徒の一団が食堂に入ってきた。
「ん? なんかあったのか?」
食堂を見回し声を上げた人物に気づいたルリジオンがそちらを向くのを見て緑の方の視線も動く。そこには水の一族に多い銀髪の生徒が居た。
「あ、ルリジオン。久しぶりだな」
食堂を見回していた生徒は立ち止まり視線を向けてきているルリジオンに手を上げると近寄る。一緒に来ていた生徒は腹がすいている為、さっさと注文をしに行った。
「久しぶり。ギャドー達はなんの研修だったんだ?」
興味ありげにルリジオンが問いかけた生徒はギャドーだった。ルリジオンとはミラリヤール以外で一番親しいと周囲は認識している。
二人が話す光景に険しい眼差しが柔らかくなる緑の方にテリアは説明する。
「あいつはギャドーといって、水の一族の者ですが、ルリジオンやミラリヤールと仲が良いんです」
「そう」
確かにルリジオンの表情は、先ほどよりもかなり柔らかい。それはミラリヤールに向けた優しく柔らかい表情ともまた違い、気さくに話す横顔はまさに友人と話すものだった。
「今日は外壁研修でさ、日陰もないからかなり辛かった」
かなり日焼けしたことが分かるギャドーは「お疲れ」と声をかけたルリジオンが盆を二つ持っていることに気づくと勢いよく周囲を見回す。
「ミラリヤール、歩けるようになったのか!?」
ルリジオンが共に食事を摂る者などミラリヤールくらいだと知るギャドーは、心配していたミラリヤールの姿を探す。だが、すぐにルリジオンは否定した。
「いや、まだミラリヤールは安静中。でも、かなり良くなってたから心配はしなくて大丈夫だ。ただ、面会は水の近衛隊長様の許可が必要だけどな」
疎遠になっていた幼馴染みとの状況を聞き、かなり興味を引く。だがギャドーは、まずは目の前の興味を解決する。
「じゃあ、誰と来たんだ?」
問いにルリジオンが視線を流した先を見たギャドーがある一点を見て固まる。
「……え?」
自分が見た人物がここにいることが信じられず、一度視線を外し周囲を見回す。すると食堂全体が浮き足立っていることに気づく。
「お前……」
ギャドーはルリジオンに向かってなんとも言えない声を向ける。
「仕方ないだろ、リュミ様がここで食べたいって言うんだから」
ギャドーが何を言いたいのか察したルリジオンは先に言い訳をする。国の最重要人物を一般人の中に連れて来ることが、それがいくら城内とはいえ、まずいことは理解している。だが、ルリジオンや執務室勤務の文官が緑の方に人との触れ合いをさせたい思いを城内警備の人間が汲んでの今回の行動だ。
それをここで話すことは出来ないが、緑の方に少しでも普通の生活を味わってほしいルリジオンの苦笑の中には柔らかさが含まれている。その表情に何も言えず緑の方に視線を向けたギャドーは一気に硬直する。
「どうした?」
いきなりぎこちない動きになったギャドーに不思議そうな眼差しを向けたルリジオンを見ながら呟く。
「……ランディエール様だけじゃないってことか」
小さな呟きはルリジオンには聞こえない。しかし、級友二人が送っていた日々には理由がありそうだ、とギャドーは察した。
自分が詮索する立場でもなければ、知ったからといってなにか出来る程の力がないことを自覚しているギャドーは、ただ心配していた友人二人とも良い状態にあるらしいと知り満足すると、視線の圧力を横顔に感じながらルリジオンを促す。
「それ、冷める前に持っていけよ」
「あ、そうだった」
両手に持ったお盆の料理を見て慌てたルリジオンだったが、ふと思い出しギャドーを誘う。
「あのさ、緑の方が……普段俺と親しい人間に会いたいって言ってくれてるんだけどさ…」
同席してほしいのだが、あの席で食事をして午後の研修に支障が出ないか心配で躊躇う。返事に困ったギャドーの横顔には緑の方からの強い視線が突き刺さっている。
「……緊張するが、見たいしな。――俺がご一緒していいなら」
前半の小さな呟きはルリジオンには聞こえない。だが、頷いたギャドーに柔らかく微笑んだルリジオンに再び食堂がざわめく。その気配に緑の方の視線が剣呑なものになったことを感じたギャドーも辺りを鋭い視線で見る。するとルリジオンを見ていた邪な視線が散る。
ルリジオンは気づいていないが、ギャドーや同じクラスの者は出来る範囲でルリジオンを保護していたのだ。ギャドーの様子にそれを感じたのか緑の方の視線が和らぐ。少し威圧が弱まったギャドーは「料理貰ったら向かう」と言いカウンターに向かった。