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茨の褥 三話 

茨の褥 三話
 


 サークが王の元を訪れると、北の領地で見初めた娘を寝台に引き込んでいた。しかし、サークの来訪はいつ何時でも取り次ぐよう王から指示が出ている為、警備兵は中で守る王の側近、キーリスに取り次ぐ。
 キーリスはどんな時も王の元を離れない側近だ。この者がいなければ、スーラやサークが王の寝首をかけたが、一瞬たりとも王から目を離さない為、長い計画が必要だった。
 サークに中に入るよう告げたキーリスは、寝台から目を離さず「用件は?」と問う。
 室内は、寝台での行為や娘が上げる嬌声で淫靡な空気が流れているが、二人は気にも留めず淡々としている。
「【運命の皇子】と思わしき少年、この地におります」
 しかし、サークの先見の言葉にキーリスは珍しく眉をピクリと動かす。それと同時に寝台から王の声が響いた。
「どこにいる?」
 娘を寝台に放るようにして下りると、昂ぶった性器をそのままにサークの元に歩み寄る。目を逸らす初さなど持ち合わせていないサークは無表情で王と対峙すると懐から水晶を取り出し中を見る。
 先ほどの光景から更に進み、赤い髪の少年を誰かに託した大人数人が北の谷に向かう準備を始めていた。中には赤い髪の少年、運命の皇子の面差しと良く似た人間もいた。おそらく近親者だろう。
 自分の命と引き替えに子供の命を守るその者に、サークは自分の母を重ねてしまい手が震えそうになったが、なんとか堪え声が震えぬよう細く息を吸うと告げた。
「明日、北の谷を逃げる姿が見えます。罠をお張りください」
 そのサークの先見で北の城にいた兵士の大半が今宵のうちに北の谷に向かった。
 翌朝。カダルとの約束があるリューンは出掛けようと思ったが、サークの手引きなしで城を出られない為、バルコニーに出て悩んでいた。しかし、見下ろした光景の中の兵士の数が少なく、城に流れる気配が普段と違うように感じたリューンは、気まづく思いながらもサークの部屋に向かうことにした。
 窓にはいつも通り鍵はかかっていなかった。そのことに安堵したリューンは大きな窓を開いて中に足を踏み入れた。
 サークは長椅子に座りお茶を飲んでいた。リューンが来ることが分かっていたかのようにサークは表情を変えず、静かに視線を向ける。
 昨夜の態度を謝るつもりはないが、どこかでまだ、サークに優しさを探してしまったリューンはぎこちない口調だが挨拶を向ける。
「お、おはよう」
「おはよう」
 サークは冷たい声音だが、これが通常であり慣れたリューンは返事があったことで少し肩から力を抜きながら近づく。
「……なんだか城の様子がおかしかったが、サークは何か知っているか?」
「運命の皇子への討伐部隊が出たからだ」
「え?」
 問いかけへの返事は淡々としていた。リューンは足を止め、サークの言葉を理解すると目を瞠り駆け寄る。
「まさか……私との約束の場所に兵を向かわせたのか!? カダルを誘き出す為に私を利用したのか!?」
 胸ぐらを掴み揺らす力は子供ながらに強い。サークはまだ自分より小さな手を掴み止めさせると表情を変えずに答えた。
「私の先見で兵が向かったのは北の谷だ」
「北の谷……」
 リューンが約束したのは昨日と同じ翆湖だ。北の谷とは逆側に位置する。それを理解するとリューンは表情を明るくした。
「カダルを逃がす為に嘘の先見をしてくれたんだな」
 やはり、サークの根本は優しい人だ、と笑顔を浮かべたリューンだったが。
「なるべく早く北から逃げるように伝えた方がいい。――ただし、北の谷に兵が向かったことは皇子には内密に」
 淡々と告げたサークに、何故だ? と不思議そうに問いかけたリューンは、次の答えに表情を強張らせる。
「王の来城を知った皇子の仲間が、皇子の居場所を撹乱する囮で北の谷へ動いている」
「ま…さか」
「囮だ。覚悟は出来ているだろう」
「覚悟って……なんでだよ! サークが先見しなければその人達は助かるだろ!?」
「そちらに大半の兵士を向けなければ、皇子が見つかる未来があった。それは避けなければならない」
「……だけど…他に手はなかったのか?」
 サークがカダルを逃がす為にした先見だとは分かったが、その為に罪もない人間が死ぬことになる現実がリューンはどうしても受け入れることが出来ない。
「今回だけではない。これから何度もこのようにして、誰かの犠牲で皇子を生かし続ける。……王を倒す日まで。リューン、お前がどう思おうと、そうしなければ王を倒す未来には繋がらない」
 そう言われてしまえばリューンは、何に怒りをぶつけていいのか分からない。思わず乱暴に長椅子に拳を叩きつけると無言で踵を返す。
 窓から出る時にこちらを振り向いた瞳を見たサークは、リューンの心が完全に閉ざされたことを感じた。
「……目指す未来が同じでも、私はお前がすることは受け入れられない。……私はお前とは別行動をする」
 突き放すように告げたリューンにサークは少しだけ吐息を震わせる。
「私が書いた筋書きを崩さぬように」
「……私が元服し軍に入ったとしても…お前の先見通り動けるかは分からない」
 ナガールの元服は十六歳。サークは心の中で頷く。
(お前には民を殺させない)
 それまでに、未来の悪い芽は摘みきり、その後は――
 リューンが軍を動かすようなるのは元服して数年経ってからだろう。その頃には運命の皇子軍も大きくなっている。逃がす為に民を犠牲にするのではなく軍としてのぶつかり合いになるだろう。
 そこからはサークの先見は王の暗殺を食い止めることが精一杯とすればいい。
「……サーク……さようなら」
 「またな」ではなく「さようなら」と口にしたリューンに、サークは存在を弾き出されたことを感じ心が痛む。しかし、それを表に出さず無言で見送る。
 バルコニーからリューンの足音が消えると窓に鍵をかけてカーテンも閉めたサークは長椅子に座ると天井を仰ぐ。
「……これで、縁は切れた」
 これで王を倒した後もリューンは正しい者として民に受け入れてもらえる。
 瞼を閉じて、凛とした佇まいに成長したリューンを想像したサークは、これでいい、と自分に言い聞かせると水晶を取り出す。
 そこには、リューンが約束の場所でカダルと会い、逃がす光景が映る。
「未来は繋がった」
 サークの先見により、王軍はほぼ北の谷に向かっている。
 運命の皇子カダルを連れた一行は、怪しまれることなく北の関所を抜けることが出来るだろう。
 まだ長い道のりだが、確実に希望ある未来に繋がったことを確認したサークは瞼を下した。



 その夜、北の城の大広間には兵士が持ち帰った多くの首の血の臭いが充満していた。
 サークは一人一人の首の前に膝をつき、顔立ちを確かめる素振りで瞼を閉じていく。
 ここにいる者達は運命の皇子を逃がす為の囮になった者だった。
 運命の皇子を生き伸ばす為、死ぬ覚悟は出来ていた者達。それでも、自分の言葉で命を奪ったことにサークは心が悲鳴を上げ普段の無表情の仮面が剥がれそうだった。
「どうだ、サーク。この中にいるか?」
 しかし、この場には王が居る。サークは瞬きをして表情を消し去ると立ち上がり王の元に向かう。
「水晶越しでしか私も見たことがない故、はっきりとしたことは言えませんが……おそらくこの中にはおらぬかと」
 ここで居ると口にすれば、運命の皇子が逃げる時間稼ぎになる。しかし、再び運命の皇子の噂が広まった時、サークに疑いを持たれぬように事実を交えてなければならない。
「……逃げた可能性が大きいな」
 王も簡単に伝説となる人間を葬り去ることが出来るとは思っていないようだ。
「しかし、この一族の者は運命の皇子に関わる者でしょう。出自を調べます。皆殺しのご許可を」
 今回の指揮を執っていた王の近衛隊長が膝をつき、頭を下げる。
「おそらくこちらは囮だろうが……まあ、いい。見せしめに村を焼き払え」
 残忍な笑みを浮かべ指示した王に一礼した近衛隊長をサークは無表情に見つめる。
 すでに村はもぬけの殻だ。それでも、故郷を焼かれる運命の皇子に同情を覚え長衣で隠された手を握りしめた。


 その後、後宮でリューンの姿を見ても視線が合うこともなく数年が過ぎた。
 
 そして時は流れ――サーク31歳、リューン18歳になっていた。


 元服したリューンは本来後宮に足を踏み入れることは出来ないが、体が弱い王妃が部屋から出られない為、月に二度、他の側室達に廊下に出ないよう通達がされた後、リューンの入宮許可が下りる。
 サークは後宮に住んではいるが男性である為、これに含まれない。
 その為、リューンの入宮の通達があるとさりげなくを装い廊下を歩く。
 かといって、廊下ですれ違っても軽く会釈をされるだけで会話などない。しかし、嫌悪されているとはいえ、自分の人生を懸けている青年の成長が見れて嬉しく思うのだ。
 納得している人生であっても、心を許して話せる者もおらず、ましてや楽しみなどないサークにとって、リューンの成長は唯一の楽しみだった。
 しかし、そんな胸中など知らぬリューンは、誰にでも公平で優しい眼差しがサークを見る時だけには蔑んだ色になる。
 その眼差しを向けられる度に、心を痛ませながらもどこかでサークは安堵していた。

 そして、運命が大きく動く年がやってきた。
「リューンよ、サークが先見で南の一族が反乱を起こそうとしている光景を見た。千の軍を賜す。一族皆殺しにしてこい」
「っ…父上、そんな小さな部族に対して千の軍は…」
 リューンは、先月から将軍職についており、今回から軍の指揮を執ることになった。
 その初陣が、民の制圧だった。
 王軍は大抵が民の制圧ではあるが、ここまであからさまに大軍を率いることは滅多にない。
 その表向きの理由をサークは告げる。
「南には運命の皇子が潜んでいるとの噂。民を傷つければあぶり出せるやもしれません」
「っ、民を囮にするのか!」
 サークの言葉に表情を険しくしたリューンは非難の眼差しを向ける。それに表情を変えないサークの先見の本当の理由。
 軍を向かわす一族は確かに囮だった。しかし、運命の皇子をあぶり出すのではなく、逃がす為の囮。
 現在、運命の皇子は中央と南の間に潜んでいる様子がサークの水晶に映った。その一行を兵士が怪しく感じる光景も。
 それを先見したサークが王にそちらに意識を向かわせない為の――犠牲の先見――リューンはそう思っているだろう。
 しかし、リューンが向かうのは実は王都への税だと民から納めさせた年貢を私利私欲で使い込んだ一族だった。それを暴かれそうになることを恐れ反旗を翻した。
 この一族に関してはこの時の生死がどちらでも、未来は変わらないと出ている。ここで命を落とさない場合は王の死後、罪が暴かれ一族全員が牢に繋がれ自害することになっていた。
 だから、リューンの初陣に当てた。
 リューンの手によって罪がない民の命は奪わせないように。
「全ては王の為です、リューン王子」
 サークが無表情で告げるとリューンは短く呻く。
「くっ…」
 しかし、それ以上反論せず頭を下げると任務を受けて立ち上がった。
 リューンとの接見が終わった王は別の人間との接見が控えていた為、サークは広間を一人で出た。
 長い廊下を歩くサークに向かう視線は、恐れか冷ややかなもの。そのどちらの視線にも反応しないサークだったが、後宮の入口でこちらを見ているリューンの視線には小さく息を呑んだ。しかし、すぐに感情の揺れなど感じさせない無表情で足を進めたサークは、自分を待ち構えていたリューンの前で立ち止まった。
 何か言いたくて自分を待っていたのだろう、と視線を向けると澄んだ緑の瞳に苦々しい色を浮かべ見下ろしたリューン。
 その角度にこんな場面なのにサークは感慨深くなる。
 この距離で対峙するのは幼い頃のあの時以来。いつの間にか自分の背を越していたリューン。サークよりも拳三つ分高い。大柄な王の血を引くのだ。まだまだ大きくなる予想が出来る。しかも、国一番の美貌と謳われる王妃の面影の中に男らしい王の面影もあり、貴族の娘がこぞって側に付きたいと思っている様子が想像出来た。
(本当に……逞しく大きくなった)
 無表情の下で成長を喜ぶサークだったが、リューンは冷たい眼差しで口を開く。
「あの先見、取り消してくれ」
 やはり納得出来なかったリューンは先見を取り消すようサークに告げる為、待っていたのだ。
「どう考えても、軍を向けるほどの力などない」
 訴えるリューンにサークは冷淡な声を向ける。
「……お人払いを」
 リューンの傍らには、元服前から側近候補として育った上位貴族の子息であるシリウスという青年が控えていた。シリウスは明るい茶髪に端正な男らしい美形の青年で年はリューンよりも僅かに上に見える。ここに居ることを許しているということは、かなり信用している人物だと分かる。
 それでも、サークが王を倒す為に――その為に非情な先見をしている事を知られる訳にはいかない。
 サークの眼差しでそれを察したリューンは「あちらで控えていてくれ」とシリウスに指示を出す。眉を微かに上げたが王子であり将軍のリューンの命令に素直に頷いたシリウスはその場を離れた。――サークに冷たい眼差しを残して。
 シリウスの眼差しは周囲の誰もが向ける物。サークは無表情に流すとリューンに向き直ると人の目がない後宮の内側にリューンを促す。警備兵は王の許可がないが、と躊躇したが袖の下を渡すと無言で二人を通した。
 側室や女官の目に触れてはならない為、人が通ればすぐに分かる廊下の影で二人は対峙した。
「改めて、頼む。あの先見を取り消してくれ」
「……運命の皇子を逃がす為だと言っても?」
 サークの答えにリューンは拳を握る。
 サークの先見は全て王を倒す為の未来に繋がっていると知ってはいる。それがどれほど非情であっても、その先に平和で明るい未来があると。
「それでもだ! 罪もない民を手に掛けていい理由にはならない!」
 悲鳴のような声音。それでもサークは冷淡さを崩さない。
「王を倒す為には仕方ないことだ」
 サークの氷のような態度を前に悔しそうに顔を歪め俯いたリューンだが、顔を上げると挑戦的な眼差しを向けた。
「私はお前とは違う。軍は動かすが、反乱分子を逃がす」
 それはリューンの将軍としての失敗を意味する。
「……それでお前の立場が悪くなっても?」
 しかし、予想していたリューンの言葉だった。その為に、サークはリューンが指揮を執る今回、王を倒す未来に関わらない一族を当てたのだ。
 そんなサークの胸中など知らないリューンは、サークが正しくあれと願った通りの精神で告げる。
「構わない。誰かの為に犠牲にしていい命などない。お前は確かに父を倒す為に先見をしているのかもしれないが、平気で民を犠牲にする……心を無くしたお前を私は軽蔑する。……ただひとつ教えてくれ。軍は動かすからカダルは逃がせる。だが、私がその一族を倒さないことでお前の先見に変化はあるか?」
 王を倒す未来に変化はあるのか? と問うリューンは、あると答えた場合、己の信念を曲げなければならない為、握った拳が震えている。 
 サークは伏せた視線でそれを見ると、小さく首を横に振る。
「いや。だが王からの印象が悪くなり動きにくくなる可能性はある。……これからの動向には注意した方がいい」
「……分かった」
 サークの忠告に視線を上げたリューンの眼差しは何かの葛藤を浮かべた。それは忠告への礼を口にすべきか迷っているのだろう。しかし、短く答えるに留めたリューンは冷淡な横顔を見せて踵を返した。
 自分を拒絶する背中を見送るサークは、リューンの言葉を思い返し呟く。
「心を無くした…か。……心など……私の心など…必要ない」
 しかし、呟く声は震えており握り締めていた手の平には爪が立っていた。
 その後、サークは足を自分の部屋には向けず裏庭にある一角に向かった。
 そこはサークが薬草などを作っている場所であり、人は立ち入らない。
 サークは小石を拾うと薬草に覆われた裏庭を進む。
 何故、こんな場所でサークが薬草を作っているのかというと、以前、王に苛まれた後、体調を崩していたサークは飲む薬を何者かによって取り換えられかなり苦しい思いをした。その後も食事などにも体調を崩す毒薬を混ぜられた。しかし、全て命を奪う程の毒ではない。蒼の一族のサークを殺せば犯人ではなくても、後宮に居る者全員を打ち首にするくらい王はするだろう事が皆分かるのか、そこまでの危険を犯しサークの命を狙う者はいない。
 ただの嫌がらせか、サークの先見によって身内を奪われたものかは分からない。サークの本心は、命などいくらでもくれてやるが、その時が来るまでは待ってくれ、というもの。その為、王を倒すその日までは自分の身は自分で守るようにしなければ、と口に入れる物には直接厨房に取りに行き、薬草も自分で育てた物しか口にしないようになったのだ。
 サークは背の高い薬草をかき分け、一番奥まで行くと幾つもの石が積まれた前にしゃがみ先程拾った小石をそっと積んだ。そして、両手を合わせ瞼を下す。
「……すまない」
 そこは自分の先見で死に追いやってしまった人への懺悔の場。
 幾つもの石が自分の罪の数。
 それが増える度にサークは痛む心を殺してきた。
 しかし、今は――
「あの目で蔑まれることは…辛いな」
 リューンの澄んだ瞳。何者にも屈しない強い心を持つリューンに蔑まれた瞳を向けられたサークは、想像以上に傷ついている自分に項垂れる。
 王を討つには仕方ないことだ、と己に言い聞かせ、誰にどんな目で見られてもまったく動じなかった。しかし、リューンにはどこかで分かってもらいたがっている自分を感じ頭を振る。
「あの子にこそ、こんな弱さを知られるわけにはいかない」
 あの王の子供とは思えない正義感を持つリューンだ。もし、サークの心を知れば、必ず庇うだろう。
 それをさせるわけにはいかない。
「心など殺せ」
 自分に強く言い聞かせると太ももに爪を立てる。
 その時、草が揺れる音がしサークははっと振り返る。後宮に住む女性はサークが育てている薬草など恐ろしいと近寄る者などいない筈だ。
 それでもこんな場面を見られては、と慌てたサークだったが、現れた姿に動きを止めた。
「にゃぁ」
 恐れることなくサークに近づいたのは、薄汚れた子猫だった。まだ掌に乗りそうな大きさの子猫は脚に怪我をしているのか、よたよたしながらも警戒心なくサークまで近寄ると足にすりよる。
 子猫の温かさが服越しでも分かる。
 その温かさにサークは込み上げるものを耐えられなかった。
 王以外の温もりを何年も知らないサークは足元の子猫をそっと両手で包むと、汚れることなど構わず頬を寄せる。
 子猫はサークの頬に流れる涙を小さな舌で舐めとった。
 ざらついた、しかし生きているものの温かな感触にサークは今まで塞き止めていたものが溢れ出すことが止められない。
 子猫を太ももに置き、肩を震わせて俯く。長いサークの髪で隠れている顔を見上げる子猫に涙が落ちる。
「にゃぁ、にゃぁ」
 涙を嫌がってか、サークを慰めようとしてかは分からないが、子猫は掌から出てサークの胸元をよじ登ろうとする。しかし、途中で爪が布に引っ掛かってしまい、じたばた暴れだす。その動きが悲しみの泉に溺れていたサークを現実に引き戻した。
 胸元を見下ろしたサークは、この城で見せたことがない優しい眼差しで子猫を見ると両手で支えようとする。
「大人しくしてしておいで」
 そっと小さなお尻を左手に乗せ、右手で爪を取ってやると子猫は大人しくサークを見上げた。
「にゃぁ」
 その角度で首を傾げた子猫があまりに可愛らしく、サークは自然と口元が綻ぶ。動物との触れ合いなどしたことがないサークは、子猫の愛らしさに慣れた冷たい無表情の仮面が被れない。
 掌の上で動く仕草に目が細まり、指先を舐められるとくすぐったそうに小さな笑いともとれる息をもらす。
 先程までの悲しみはまだサークを包んでいるが、子猫を見ているとなんとか気持ちが落ち着いてくる。しかし、そのことに後ろめたさを感じてしまったサークは、はっとすると子猫を地面に下ろした。
 大勢の人を死に追いやってしまう自分が、こんなにも穏やかな時間を持っては駄目だ、と。
 しかし、子猫はサークから離れず足元にまとわりつく。その様子にその場をなかなか離れられないサークは、口元を引き結んで考える。
「……腹がすいているのか?」
 子猫の様子に、もしかしたらと思い当ったサークはもう一度しゃがむと子猫を抱き上げる。
「…救える命は…少しでも多いほうがいい」
 このまま放っておけば餓死するかもしれない、と自分に言い訳するように呟いたサークは、子猫を懐に入れると囁く。
「部屋まで大人しくしていろ」
 囁く声は普段の冷たい声に戻っているが、撫でる手つきはとても優しかった。





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