祈りの花 2

<祈りの花 2>
 

 ◇◇◇◇◇


 幼い頃の記憶は曖昧だが、母と共に追われた記憶と少年二人の会話だけははっきりと覚えていた。
 母と追手を逃れ、北領の国境付近で身を潜めていた時。十歳の自分よりも幼い男の子供二人が手を繋ぎ山道を歩いていた。
「なんで? リューンと会えなくなるの、嫌だよ」
「ちゃんとまた会えるから、今は俺の云うことを聞いて」
「……リューンに次はいつ会える?」
「すぐに会えるよ」
 金の髪と赤い髪を持つ少年二人の姿を見つけた母は息子を抱き寄せ草むらに身を潜める。
「母さん?」
「しっ、黙って」
 声を出そうとした自分の口を母が手で覆い、二人の周囲を用心深く見回す。
 会話はそこで途切れ、記憶から遠ざかると場面が転換した。
 ――母に強く抱き締められ足場の悪い断崖絶壁に立っていた。遠くに沢山の足音が聞こえていた。目の前にはもう道はなく、崖の下に流れる大きな河の音が轟々と鼓膜を震わせる。ガタガタと震える身体は、吹き荒れる冷たい風のせいだけではない。その震える細い身体を一層強く抱き締めた母がそっと見下ろす。
「……ユメール……」
 優しい、しかし強い瞳。
 母が何かを決意したことが分かった。
 母の着古された服を掴むが、その細い指をそっと外される。
「お父さんから教わったことは覚えているわね」
「覚えているよ、運命の皇子様につかえるんだよね」
「そう、そして――」
「自分の思い通りに未来をあやつらない」
「ええ、そうよ。決してそのことを忘れないで」
 強く頷いた母は、身を屈め自分の首に掛けていた青い石が付いた首飾りを息子に掛け、両手で頬を包み顔を覗き込む。それは瞳に息子の顔を刻み込むようだ。
「母さん?」
 その瞳に何かを――決別の色を感じ取った細い小さな手が再び母に伸ばされる。しかし、その手が母に届く前に胸を押される。
「ユメール大好きよ、どうか無事で……。あなたさえ命があれば蒼の一族の血は継がれる」
 押された力で小さな体は背後の谷に引きずり込まれるかのように落ちた。
「母さん!?」
 目を見張った視界一杯に見えた悲しそうな母の顔。
 手を伸ばしても何も掴むものはなく、下から伸ばされた冷たい空気の手に身体を掴まれるかのように落下していく。
 このまま落ちれば、確実に命がないことなど幼い知識でも予想出来る。少年――ユメールは覚悟し、ギュッと眼を瞑る。
 しかし、冷たい水の壁に叩きつけられる瞬間、母に掛けられた首飾りが光り包まれ宙に浮いた。
 一瞬、なにが起こったか分からなかったが、石が頭に直接語りかけて来たような気がした為、その通り首飾りを外すと手を伸ばす。
「これを、あそこに掛けるの?」
 宙に浮いた目の前、大河に水が流れ込んでくる細い穴があり、そこの上に突起があった。光る石がそこに自分を掛けろと訴えている気がし、なんとか手を伸ばす。冷たい空気でかじかむ指先に首飾りを掛け、懸命に手を伸ばす。それが鋭い突起になんとか引っかかると、そこが自分の在処だとでもいうように石が壁の一部に吸い込まれていった。
「これでいいんだね」
 その光景にほっとした瞬間、浮いていた身体の落下が再び始まり――しかし、水面に近かった為、大した衝撃はなく河に沈む。だが、かなり広い河は流れも速く、しがみつく岩もない。軽い身体はあっという間に激流に呑まれ、なんとか顔を上げた先に母の姿を探すが見つからない絶望と共に意識は途絶えた。
 気が付いた時には冷たい牢獄の中に捕らわれていた。
「お前は蒼の一族の子か?」
 覗き込んだ怖い顔をした大人の男が【王】と呼ばれていた。
『王を倒す運命の皇子に仕えるのだ』 
 幼い頃から自分の役目をそう教えられていたユメールは、大きく首を横に振る。
 子供の考えでなんとか白を切らなければと頑なに首を振り続ける。
「……ふん、まあいい。先見の力が少しでもあればいつか役に立つだろう。無くとも――」
 顎を取られ目を細め、舐めるように全身を見られる。
 囚人が着る薄い灰色の布一枚を身に巻いただけの肌は透き通るように白く、顎を上げさせられた顔は性別を感じさせない美しさがあった。
「蒼の一族とは美しい者が多いのか?」
 後ろに控える自分の占い師にからかいの言葉を向けると、サークは自分を見つめる少年から視線を逸らす。この少年の未来が占わずとも分かっているからだ。そう仕向けたのは自分だが、同胞の――こんなにも幼い子供が蹂躪される様はあまり気持ちの良いものではないのだろう。
「まあ、先見が出来なくても違う面で役に立つだろうから、生かしておけ」
 そこから少年が覚えているのは痛みと恐怖と――
「泣きわめいてばかりではつまらぬ、薬を持て」
 ――わけが分からなくなった記憶だけ。
 そこから、どのくらい年数が経ったのか分からない。
 ただ分かるのは、ここが北の谷の側の城だということと、髪が腰まで伸びたことでかなりの年数が経ったことだけ。
 王は普段は王都に居る為、ここには年に数度しか訪れない。その間は少年――いや、すでに青年になったユメールに様々な技巧を教え込む為、この城の城主によって身体を拓かれていた。
 そして、髪が伸びるごとに何故自分がここに捕らわれているのかを理解した。髪には霊力が宿るというが、先見の力もユメールの髪が伸びるにつれ現れたのだ。とはいえ、やはり薄まった血では先祖のような鮮明な先見は出来ない。ただ、父の教え通り自分は王を倒さねばならないこと。いや、倒すべく立ち上がった存在に仕えることが運命だと『見た』。だが、まだその時ではないことは自分が先見した光景から分かっていた。
 王と対立する『運命の皇子』と呼ばれる青年に出会う自分の髪は膝裏ほどまで伸び身体を覆う長さがある。しかし、まだそこまでの長さはない。
「……大丈夫。必ずあの人が来てくれる」
 ユメールは蹂躪された身体を丸め髪を掴み、祈るように呟く。
 窓もない地下室で僅かな灯りしかない薄暗い部屋に何年も閉じ込められているユメールは瞼を閉じると、自分を勇気づけるようにひとつの光景を見る。
 それは、硬く閉まった鉄製の扉が開き、黒装束の男が入ってくる光景。
 背は大柄な王と同じ程か。自分を見て「先見か?」と問いかける声まで聞こえる。
そして、その人が名乗った名前も。
 その先見が――自分には『未来』があるのだという希望だけが、ユメールが狂わずにいられる命綱だった。
 ――それから更に月日が流れ、『その日』が近づいていることが、自分の伸びた髪で分かった。
 僅かな灯りしかない地下室で、寝台に流れる髪を掴み寄せ、じっと重い鉄製の扉を見つめる。長い間、簡素な寝台と排泄をする場所に届く程度しか長さがない鎖に繋がれている為、細い足をそれでも鍛えようと足踏みをする。
 その時、ギィーっと渋い音を立てて扉が開いた。
 ユメールは髪を掴む手に力を込める。
 扉の向こうから現れるのは、自分が待ち望んだ人物か、それとも、王の命だという名目で蹂躪する城主か。それとも、年に数度現れる王か――。
 いや、昨夜の蹂躪から身体を洗ってもらえていない為、王ということはないだろう、とユメールは期待と苦痛の覚悟を持ち、扉を見つめる。
 そして、扉は静かに外側に開かれ、外の空気が昨夜の蹂躪の臭いが漂う空気を洗い流すように流れ込み、灯りを片手に持った人物が――黒装束の人物が足を踏み入れた。
「……本当に…来て……くれた」
 ユメールは髪を掴む手が震えていることにも気づかず、扉から一歩室内に足を踏み入れた人物を食い入るように見つめた。
 黒装束の男はかなり長身なことが扉をくぐる時に頭をわずかに下げた事で分かった。おそらく王と同じ程か。ユメールよりも頭一つ半は高そうな背丈。マントをしている為、体格ははっきりとは分からないが、かなりがっしりしている王とは違い、しなやかな体つきに感じる。だが、全身を――青い瞳以外は全て黒い布で覆っている為、はっきりとしたことは分からなかった。
 じっとこちらを見つめるユメールに静かに近づく黒装束の男に続き、もう一人こちらはユメールと同じ程度の身体付の、やはり黒装束の人物が現れた。後から現れた人物は顔は布で覆っていなかった為、部屋に入った瞬間鼻を手で覆い、思わずといった声を上げる。
「臭っ…」
 昨夜洗い流してない精液が――いや、長年この部屋で行われて来た蹂躪によって染み付いた臭いが鼻についたのだろう。
 小さな声だったが静かな室内では耳に入る程度だった声に、ユメールは寝台の上で足を引き寄せ身体を丸める。その仕草を見た先に入った男がたしなめる。
「センカ、黙れ」
「……すいません」
 センカと呼ばれた男――声の感じからまだ少年が自分の失言に気付き頭を下げる。ここに連れて来られてから丁寧な態度などされたことがなかったユメールは、驚いたように激しく首を横に振る。どこか子供じみた仕草に眉を上げた男だったが、今は時間がない、と室内を進むとユメールの腕を掴み引き寄せると、髪を確かめるように梳く。先見である蒼の一族は黒髪を持つ。今や完全な黒髪の人間などいなくなったと言われ、ユメールも僅かな明かりで分かる髪は銀の髪をしている。しかし、髪を梳くと内側に一房の艶めいた黒髪が現れた。
 それを見つけた男は、顔を覗き込むと問いかけた。
「先見か?」
 瞬間、ユメールは目を見張ると
(ああ……この声だ)
と音にならない嗚咽を喉の奥で上げる。
 いつからか見るようになったこの瞬間。
 この未来があったから自分は耐えて来られたのだ。
 ユメールの様子を静かに見つめていた男だったが、すぐに肩を掴み引き寄せると視線を合わせた。
「っ、あ、あの」
 突然のことにあたふたとするが、至近距離に近づいた青い瞳に見つめられて息を詰める。
「先見で間違いないな? 俺が来ることが分かっていたんだな?」
 確かめるように問われたユメールは小さく頷き、男の欲しい答えを口にする。
「ユーシス…様……ですか?」
 まともに会話することが久しぶりで声が掠れるが、二人の鼓膜を震わせるには十分の音だった。
 ユメールが口にした名前に、男は僅かに目を見張り、少年が「な、なんで知ってるんだよ!?」と声を上げる。チラッと少年を見て黙らせた男はユメールと目を合わせ確認する。
「先見で知ったのか?」
 その吸い込まれそうな青は嘘を許さない色だ。しかし、ユメールは緊張もせず嬉しそうに答えた。
「はい、ずっとユーシス様が迎えに来てくれるのを待っていました」
 子供のような返事に先ほど同様違和感を覚えるが、ユメールが先見だと分かれば他のことは後回しだ、と細い足首を繋ぐ鎖を懐から出した工具で切ろうとする。その為、掴んだ足首の細さに男――ユーシスは眉をしかめる。それは、鎖を付けられた足首と付けられていない足首の太さの差だ。何年も拘束具を付けられていた足は子供程の細さだった。男は怒りに任せるように一気に鎖を切るとユメールを見上げる。
「そうだ、俺はお前を迎えに来た。共に行けるな」
「はい」
 軽くなった足を嬉しそうに動かし寝台から降りて歩き出そうとしたユメールだったが、左右の足首の太さの違いや長年繋がれ動きを制御されていた足は筋肉がなく、ゆっくりとしか歩けない。その様子に迷うことなくユーシスはユメールを抱き上げようとする。しかし、ふと手を止めると自分が身にまとっているマントを脱ぎユメールをそれで包んだ。
 北の大地は春とはいえ底冷えする。ユメールは突然の温かさに驚くが、自分が発する臭いを思い出す。
「あのっ、汚れます」
 ユメールは少しでも離れようとし、体勢を崩しながら首を横に振るが、背中を抱き寄せることで支えてやりながら、ユーシスはなんでもないことのように告げる。
「たいした物じゃないから気にするな」
 裸足の足もマントで包まれたユメールは身を小さく丸め、やはり首を横に振る。
「で、でもユーシス様が寒いです」
「お前の体温で温かいから大丈夫だ。それより時間がないから行くぞ」
 ユーシスが動き安いように抱き直されたユメールは、有無を言わさぬ口調にそれ以上断れず「ありがとう……ございます」と礼を口にし、体勢を崩さぬように首に腕を回した。
 目を合わせ小さく微笑んでくれたことが、見えている瞳だけで分かる。こんなに優しい瞳で見てもらえたのはいつぶりだろう、とユメールは目を奪われるが、あまりに深い青を長く直視出来ず目を伏せる。ユメールが俯くとユーシスは一瞬、探るような瞳になる。しかし、すぐにその光を消し、厳しい光を浮かべると視線を出口に向ける。
「ユーシス様、大丈夫です」
扉を静かに開け、外を確認したセンカが小声で合図すると頷き、ユメールに告げる。
「少し荒っぽい脱出になるが我慢しろ」
「はい」
 ユメールはしっかり頷くと、全てを委ねるようにユーシスの首に回した腕に力を込めた。


| 2018.06 |
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
プロフィール

桜崎彩世

Author:桜崎彩世
FC2ブログへようこそ!

web拍手

最新記事

カテゴリ

月別アーカイブ

FC2カウンター

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

ページトップへ